「どうしてそうなの学校の歴史」

元琉球大学教授の加藤好一さんが小学校や高校の統合などに関する「どうしてそうなの学校の歴史」
伊東で初めて学校が出来たのは明治6年2月3日。
竹之内にある最誓寺さんのところに和田、竹之内、新井、岡、鎌田の5つの村の共立で『克明学舎』と呼ばれる学校が出来たそうです。
地域ごとに様々な学舎が出来、分離、合併、移転を繰り返したそうです。
明治24年に伊東高等小学校が開設され、29年に伊東の4小学校が統合して伊東尋常高等小学校が成立。
藤の広場に残る松は、明治27年の高等小学校時代の生徒達が植樹したもの。
学校が西小の場所に移転し、移転後学校の近くに病院(避病院)、馬車駅(駐車場ちゅうしゃば)が出来て、町がどんどん栄えていった。
学校という箱があるではダメ。交通や通学の整備もしっかりして、ちゃんと『まち』として発展させていかなくてはいけない。

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昭和の始め、伊東町は不況の真っ只中。人口16000人で鉄道も通っていない町だった。
伊東町婦人の会が、『地形に妨げられ高女に通えない東海岸諸町村の女性に中等教育の機会均等を保障して欲しい!』とまちぐるみの運動を始めた。
この運動が功をなして昭和8年伊東高等女学校が開校されたそうだ。
戦後その伊東高女が伊東高校に発展したそう。(運動していた婦人の会の名簿に曾祖母の名前があり、びっくり。父に聞いたらその当時の曾祖母の年齢は45歳。私と一緒だ!私もがんばろう!とパワーを貰えました♪)

昭和38年に商工市民の要望をふまえ伊東商業高校開校。
58年に母親達の運動が高まり伊東城ヶ崎高校が設立。
7万都市に3校も学校があるところは珍しいそう。今年は高校も小学校も1校になりました。
このような歴史をお聞きすると、考え深いものがありました。
伊東の教育は女性の力があってこそ作られてきた!!そんな歴史をお聞きし、先人達を見習い、みんなの声を代弁して力を入れていこう!とよりパワーをいただきました。
貴重なお話をありがとうございました。