昨日、杢太郎会の総会に出席させていただきました。
みなさん、木下杢太郎さんをご存知ですか?
木下杢太郎さんは伊東市出身の医学者にして、美術、文学、詩と広い分野で様々な功績を残されています。
伊東市湯川にある『木下杢太郎記念館』が生家で、『米惣(こめぞう)』という商家に生まれました。
米惣は、江戸の物を色々仕入れて船で伊東に運び、その当時最先端の物が置いてあるお店だったと以前聞いた事があります。
杢太郎記念館の裏にあった東浦尋常小学校に通い、その後統合した伊東尋常高等小学校に通った後、上京しました。
学生時代は与謝野鉄幹、北原白秋など共に文学活動を行い、詩、小説、戯曲、随筆、評論など様々な作品を発表しています。
医学の道では本名 太田正雄の名で皮膚科を専攻し、ハンセン病(癩病:らいびょう)の研究をし世界的にも有名な方だったようです。
美術では、百花譜(ひゃっかふ)と呼ばれる植物の絵が有名です。亡くなる前の2年4ヶ月の間に描かれた872枚の絵。
全て便箋に書かれていて身近にある草花を描いてあります。
石舟庵さんのお菓子のパッケージでも使われてます。
説明をしてたら長くなってしまいましたが、総会の会長挨拶では、こんなに素晴らしい才能を持ち、様々な功績を残した方が伊東で生まれ育った。こんな誇らしい事はない。
たくさんの方に木下杢太郎さんを知って欲しい。
そんなお話を伺いました。
ずっと魅力があり続けているまちは、文化と歴史を大事にしています。我が街のこと色々知っていくと、より好きになりますよ。